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熊本地方裁判所 昭和39年(行ク)3号 決定 1964年6月03日

申立人 室原知幸

被申立人 熊本県収用委員会

訴訟代理人 広木重喜 外九名

主文

本件申立を却下する。

理由

申立人の申立の趣旨および申立の理由は別紙収用裁決処分執行停止命令申請書ならびに別紙第一および第二準備書面記載のとおりであり、被申立人は別紙意見書(第一・二回)のとおり意見を述べた。

被申立人が起業者建設大臣の筑後川総合開発に伴う松原、下筌両ダム建設事業およびこれに伴う付帯事業に係る土地収用裁決申請事件について昭和三九年三月一日付で別紙裁決書のとおり土地収用の裁決をしたことは当事者間に争がない。

申立人は、右収用裁決がその申請手続のかし、審理手続の違法および裁決の違法により取消さるべきものである旨縷述するが、裁決の適法性は執行停止の消極要件であつて(本案訴訟について理由がないとみえるときは執行停止は許されない)、本件の本案訴訟における申立人の主張が審理をまつまでもなくそれ自体理由がないとも考えられないので、裁決の違法に対する判断はここでは一応措くこととし、執行停止の積極的要件について考えてみよう。

裁決の執行停止は、裁決、裁決の執行又は手続の続行により生ずる回復困難な損害を避けるため緊急の必要があるときにのみ許されるものであるが、該損害は申立人の個人的損害ないし個人的利益に関連することを必要とし、更に行政行為が公定性および実行性―自力執行力―を持ついわれを考えれば、行政行為の執行停止の要件としての回復困難な損害は、当該行政行為の執行によつて生ずる個人の権利の侵害の虞と、執行を停止することによつて行政停廃等による公益の阻害との比較衡量のうえ検討されねばならない問題である。

この点に関し、申立人は、本件収用裁決の結果収用土地はダムサイト建設のため岩盤に達するまで表土をはぎとられ、その地上物件はすべて除去されるので、申立人は回復の困難な損害を受けるのに対し、本件収用は治水事業という公益に名をかり、その実特定の独占資本に奉仕するダム建設のためのもので、執行停止によつて生ずる公益の阻害は全くない旨主張する。

そこで、先ず申立人の受ける損害について考えてみよう。

本件裁決書によれば、被申立人は申立人に対し、申立人は本件収用土地である熊本県阿蘇郡小国町大字黒淵字天鶴五八二五番の一山林五畝(実測地積四反五畝二五歩)のうち三反四畝二七歩(もつとも、申立人は現地における右五八二五番の一の範囲を争い、被申立人が五八二五番の一に属する現地の一部を五八二八番の一、五八二八番の二および五八二九番の一部にあたるとして収用している旨主張する。)をも申立人の蒙る損害として主張するのに対し、被申立人は、申立人は右五八二五番の一の山林全部を収用裁決日の昭和三九年三月一日後裁決に定める収用時期である同年四月五日前の同年三月一七日に申立外室原是賢に対し所有権移転登記を経由したので、右収用時期において申立人はその所有権者でなかつたことが明らかで、したがつて、右土地の収用について法律上の利害関係を有しないから、申立人の右違法の主張自体理由がないと主張する。

収用の時期が昭和三九年四月五日であることは当事者間に争がなく、疏乙第一号証(登記簿謄本)によれば、右五八二五番の一の山林につき昭和三九年三月一七日申立人から申立外室原是賢に対し同年二月一〇日贈与を原因とする所有権移転登記がなされていることが認められるので、右収用時期において申立人は既に右土地の所有権を有していなかつたと推認すべきである。

このように収用時期前に所有権を他に譲渡した場合、譲渡人がその譲渡にかかる土地についてその違法を主張し得るかどうかの判断はともかくとして、申立人は右のように収用時期においてすでに土地の所有権を喪失している以上、収用自体による所有権喪失の損害は他に特段の事情のない限り生じないものといわなければならないし、所有権譲渡後においてなおかつ譲渡人である申立人において収用自体により損害が生ずることについての主張、疏明もない。

更に申立人は、物件の移転に伴う損失補償に関し、物件についての権利関係、種類および数量を争い、その認定の基礎をなした物件調書が全く推量に基づいて作成されたものであり、就中前記五八二五番の一の山林内の南東側に集団的に植生されている杉三〇年生三二本については全く欠除されている旨主張する。

しかし、収用土地上の物件のうち立木関係については、前認定のとおり右五八二五番の一の山林が昭和三九年三月一七日申立外室原是賢に所有権移転登記を経由しており、右土地譲渡に際し地上立木を留保して土地を譲渡したことおよびその留保につき明認方法を講じたことについての主張、疏明がないので、地上立木はすべて土地の譲渡とともに室原是賢に移転したものというべく、申立人は前同様の理由により立木の移転に伴う損害に関し、これを収用によつて自己が蒙る損害として主張することができないものというべきである。

また、右五八二五番の一を除くその余の土地および地上立木はいずれも申立人の権利に属しないことが認められるので、これらの土地・立木については申立人はこれを損害の対象として主張することはできない。

そうすると、申立人の主張する損害中申立人の蒙ることのあるべき損害として考察すべきものは結局建物工作物関係に帰するので、該建物工作物等についてみるに、被申立人が申立人に対し収用裁決当時申立人、申立外穴井隆雄、同末松豊の共有物件としてその移転に伴う損失補償を認定した建物工作物等は別紙裁決書添付の別表第一申立人に対する損失補償金額のうち(ロ)建物工作物等として表示してあるとおりであることは当事者間に争がない。

申立人は、その補償にかかる運搬費を水没すべき志屋部落までとして算出していることは不当であり、建物四五棟のうち一七棟は存在していないものであり、また建物工作物等の物件はすべて申立人の単独所有であり、更に屋内動産には食料、燃料、炊事道具、寝具、畳、建具、器材、ラジオ、テレビ、書籍および資料類等大量のものが存在しているのにその移転費用を金三万円と認めたのは不当であると主張するけれども、損失の補償にのみ関する部分は執行停止を求めるための理由とすることができない。

ところで、当裁判所の本件執行停止命令申請事件の本案訴訟についての証拠保全の検証の結果によれば、被申立人が収用した熊本県阿蘇郡小国町大字黒淵字天鶴五八二五番の一の山林、同大字字鳥穴二八二七番の三の山林、同所五八二八番の一の原野、同所五八二八番の二の山林および同所五八二九番の山林上に少くとも六五個におよぶ木造亜鉛引鉄板葺平屋居宅、同物置、同渡廊下等(渡廊下をも居宅と別個に算出した)が存在し、それら各建物内部および建物間に敷設されている電灯線、電話線、各居宅に付設されている水槽、その水槽を連絡している硬質ビニール製の給水管、その他立看板等の工作物が無数に存在し、そのいずれが前記損失補償の認定を受けた建物工作物に該当するかが明らかでなく、またその権利関係も明らかでないので、申立人主張のようにこれらの建物工作物等が申立人の単独所有にかかるものとすれば、これら物件の除去により申立人において損害を蒙る虞がないとはいえないが、その損害のうち大きな額を占めると考えられる居宅についてみても、その建物の構造が木造亜鉛引鉄板葺の平屋建建物でせいぜい五坪までの大きさに過ぎず、内部も板張り畳敷あるいは竹を張りつめたうえにゴザを敷いた程度のもので、もともと山林内での居住を目的として作られたものとは認め難く、かえつて申立人を含む松原、下筌両ダムの反対者らが、ダム建設反対の斗争を強力に推進する目的のみで、その手段として収用土地に拠つて実力で阻止すべく築造したものであることが推認され、居宅以外の建物ならびにその他の工作物はいずれもそれ自体としてはさして価値を有するものとは認められず、更にこれら建物および工作物が申立人の所有に属しない前記山林や原野に如何なる権原に基づいて築造されているものであるかの主張、疏明もないことを併せ考えれば、これら建物工作物等の除去により申立人の蒙る損害は物件移転の補償で満足できる財産的なものに過ぎないと考えられる。

つぎに本件裁決の効力を停止した場合の公益阻害の有無について考えてみよう。

裁決申請の筑後川総合開発に伴う松原、下筌両ダム建設事業は洪水調節と発電を目的とした多目的ダムとなるべきものであることは当事者間に争がない。

申立人はダム建設が治水に名をかりその実は特定の独占資本に奉仕するもので、公共の福祉をふみにじるものである旨主張するけれども、本件の疏明資料を検討してもそのダム建設計画が公共の福祉に副わない有害無益なものであることを窺わせるに足る資料はなく、かえつて疏明によれば右両ダムの建設により一応公益上つぎのような効果を得ることが窺われ、ダム建設のため失われる約四平方粁の土地の効用を考慮に入れてみても、なお事業計画は公益上の必要性のあることが窺われる。

すなわち、洪水調節による防災効果については、その計画の基礎をなす洪水量の測定、ダムの配置、ダムサイトの地質、ダムの堆砂の問題につき当事者双方の主張に大きな相違があり、そのダム建設計画は必ずしも治水に十分なものであるといいきれないようであるけれども、なお少くとも松原、下筌両ダムの完成により下流筑後川流域に対しおおむね上流からの出水について長谷地点で六、〇〇〇立方米毎秒を越え八、五〇〇立方米毎秒までの高水に対する治水の効果を期待していることが窺われ、その六、〇〇〇立方米毎秒を越える二、五〇〇立方米毎秒の洪水の調節ができることにより考えられる治水の効果についてはこれを簡単に金額で表し難いようであるけれども、その効果が洪水調節により単なる財産上の毀滅を防ぐばかりか、流域住民の生活を安定させ、貴重な人命を水禍から護ることを考えれば、相当の防災効果を期待し得るものというべく、公益に寄与するところが大きいことが窺われる。

更に発電事業の目的についてみれば、申立外九州電力は下筌、松原両ダムについて発電事業を営む計画を有しており、その計画によれば、下筌ダムによりダム式発電で最大出力一三、九六〇キロワツト、常時出力一、七〇三キロワツト、松原ダムによりダム水路式発電で最大出力二六、〇六〇キロワツト、常時出力三、八四三キロワツトであることが一応窺われ、これが社会経済上極めて大きな効用をもたらすものということができる。

そして、以上の洪水調節ならびに発電事業による公益の必要性の阻害と、前記申立人の物件除去により蒙る虞のある損害とを比較衡量するときは、申立人の蒙る損害は社会通念上金銭賠償により回復し得る程度の損害であると考えるのが相当であつて、裁決により回復の困難な損害を受けるとの申立人の主張は理由がないものといわねばならない。

よつて、本件申立を却下することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 後藤寛治 志水義文 畑地昭祖)

(別紙)

収用裁決処分執行停止命令申請書

申請の趣旨

一、起業者建設大臣の筑後川総合開発に伴う、松原、下筌ダム建設事業及びこれに伴う付帯事業に係る土地収用裁決申請事件について昭和三九年三月一日付被申請人がなした収用裁決処分の効力は、熊本地方裁判所昭和三九年(行ウ)第四号裁決取消請求事件の本案判決ある迄これを停止する。

との御裁判を求める。

申請の理由

一、被申請人は、申請人に対し申請の趣旨記載の裁決申請事件について、昭和三九年三月一日付で、別紙添付裁決書写のとおり収用裁決をなした。

二、右収用裁決は、申請手続の瑕疵を誤認し、却下すべきであるのに収用をなした違法、並びに審理手続の違法及び、裁決における違法があつて、取消すべきである。その諸点は、次のとおりである。

1、土地調書における権利関係の存否、地積(各筆の境界)は、事実と甚しく相異し、起業者の根拠のない推量に基き作成されたもので、このような土地調書は無効であり、裁決申請を違法ならしめるが、同調書にのみ従つた本件裁決は違法である。

イ 土地調書自体によると、関係人九州電力株式会社所有の送電線鉄塔に係る賃貸借による権利の存在は、収用地である字天鶴五八二五番の一及び、同じ字鳥穴五八二八番の一になつているが、土地調書付属図面によると、それは字鳥穴五八二八番の一及び収用外の土地に存在している。

この様に土地調書自身が、形式的に矛盾した内容を有するが、実体的に土地に対する権利の存在の有無は、土地所有者並びに関係人の権利に重大な利害を有し、これを看過した裁決は、違法で取消すべきである。

ロ 収用土地の境界が、起業者の根拠のない推量に基いたものである結果、

A 字天鶴五八二五番の一の土地は、約一反五畝を字鳥穴五八二八番の一に入れられ、又約一反歩を字鳥穴五八二八番の二に入れられ、若干の土地を字鳥穴五八二九番に入れられ、合計約二反五畝歩の地積が実際より少い。

B 字鳥穴五八二八番の一の土地は、約二反五畝を同字五八二七番の三に入れられ、A記載のとおり約一反五畝の字天鶴五八二五番の一を含んでおり、延べ約四反歩の誤差で実質約一反歩の地積が、実際より少い。

C 字鳥穴五八二八番の二の土地は、約八畝を同字五八二九番に入れられ、又約七畝を同字五八二七番の三に入れられ、A記載のとおり、約一反歩の字天鶴五八二五番の一を含み、約二反五畝の誤差で、実質約五畝の地積が実際より少い。

D 字鳥穴五八二七番の三の土地は、B及びC記載のとおり合計約三反二畝の地積が実際より多い。

E 字鳥穴五八二九番の土地は、A及びC記載のとおり、合計約八畝の地積が多いほか、収用外の土地である字鳥穴五八三〇番の一、同五八三一番の一の二、同五八三一番の一の一、同五八三六番の一の四筆の土地を含み、その合計は、約一反五畝で、総計約二反三畝の地積が実際より多い。

従つて、収用土地実測合計三町四畝一三歩に対し、誤差の合計は延べ約一町四反五畝に達して、誤差率は約四割八分に及ぶものである。

実測地積の記載を求められる土地調書及び、実測地積に基き裁決をなすべき法の趣旨によれば、かような誤差率を有する土地調書従つてそれによる裁決の違法は、明らかで取消されるべきこという迄もない。

2、調書は、何れも航空写真、遠隔測量などの結果作成されたもので起業者は、それが確度の高いものであると主張し、収用委員会もその判断は、具体的に示さないが調書を有効と認めたものである。

然し、現実に調書に記載されたものは、立木その他の物件の数について、一致しておらず、字天鶴五八二五番の一地内については杉三〇年生、三二本がその南東側に集団的に植生されているのに物件調書に全く欠除されている。

また、給水管、柵、電線などは、その数量を長さで示されているが、傾斜面に曲折して存在するものであるから、その確度は全く信頼するに当らない。

調書の作成は、実測に基き、地積、構造、建坪その他の内容を確定すべきが、法の命ずる所であり、実測によらず又は確度の低い調書は、証拠力を有せず、従つて、作成手続に反した調書の添付された申請は違法であり、且つ証拠力を有しない調書により収用した本件裁決は違法であり取消すべきである。

3、本件裁決は、被申請人の違法な審理手続に基いたもので、違法とされ取消されるべきである。

イ 本件裁決申請は、約六ケ月間受理されず、その間被申請人は、起業者に対し、申請手続が違法の疑の濃い故に申請のやり直しを求めており、起業者が一度承認したものゝ、後にやり直しをしないこととしたゝめ、受理後の審理手続において、審理されることにして六ケ月後受理されたものである。

然し乍ら、これは、審理手続では全く審理されておらず、不問に付され、被申請人の起業者えの偏向、先入感により裁決に至つたことが明らかである。

ロ 被申請人は、昭和三八年一一月二六日から数日間、収用法第六五条一項三号により現地調査を行つたが、これは、同法の「現地について」行われず、遠望によつて行われた違法があり、又起業者から、起業者の出張所において審理の実体に関する意見の聴取を行い、同年一二月二日には、熊本県庁内で同様起業者から右意見聴取を続行したが、何れも非公開で土地所有者側の同席さえ拒否され、収用法第六二条及び同第六三条の審理の公開、当事者の審理参加権を侵害した違法の手続であり、且つその内容は、補償対象物件に関する事項を含んでおり、審理の重要な事項についてであるから、これに基く裁決は取消を免れない。

ハ 被申請人は、昭和三九年一月、審理の続行中、東京、関西地方に赴き、内閣法制局、建設省などを訪ねて、審理の取扱いを打診し同年一月三一日には当事者の知らぬ内に補償物件評価に関する鑑定人九名に鑑定を依頼し、更に結審が二月二九日にされるや、翌三月一日裁決の合議をなし、補償額評価について、物件については鑑定人評価を採用するが、土地、立木に関しては、独自の評価をなすことを含んだ六〇頁に及ぶ裁決書を百部、外注による印刷に付したにも拘らず、同月四日には当事者三六名に発送を終るということを行つた。

このことは、少くも昭和三九年一月中に、審理続行中にも拘わらず、被申請人は、結審を得ており、裁決書作成の作業すら行われていたことを示している。

而して、その反面、申請人等が明示して意見の陳述を保留し、或いは、補償対象、その評価に関しては、当然申請人等の意見の陳述が、被申請人にとつても予想されるべきであるのに、それらの意見陳述をなすか否かの意見さえ問うことなく、突然結審しており、その結審に当つては、申請人が重要な意見の陳述を行うことを前提として、証拠の申出(資料提出命令)を行つたことについて、その採用を保留する決定と結審の宣告を同時に行つている。

このことは、被申請人が、故意に、収用法第六三条の審理参加権(意見、証拠の提出)を侵害した違法の審理手続で、又重要な事項について審理を尽さず、それに基く裁決は違法で取消すべきである。

4、起業者は、事業認定に当つて、特定多目的ダム法第四条の基本計画を作成しておらず、多目的ダム着工の法手続に違反していたが昭和三八年一一月二〇日その告示をなすに至つた。

而して、事業認定申請書添付の事業計画書による計画は、本件ダムが、治水と発電の二目的を有するにも拘わらず、発電部門については、全くその裏付けを有せず、多目的ダムの計画という名に価しないものであつたことは既に明らかにされている。

そこで、発電部門の裏付けを有するとして告示された基本計画(特ダム法第四条)が、作成されたことにより、起業者は、当然当該計画に基き事業を遂行することとなつたが、この様な計画の変更は、収用法第四七条により却下すべきものである。

被申請人は、これについて、治水が主目的である点に異同がないことのみを却下しない理由に掲げているが、起業者の計画においてすら、治水の経済効果は減少変動しており更に、過去の事例による建設白書によれば、治水の計画は、何れも失敗しており、主観的には主目的がどうあれ、客観的な計画の科学的、経済的、異同を明らかにして、更に四十七条適用の法律判断を示すべきであることはいう迄もない。被申請人は、申請人等のかゝる主張及び資料提出命令を却下して、その審理に入ることを拒否したものであるから、被申請人の四七条不適用の結論が、誤つたものであることと共に、審理不尽の違法があり裁決を取消すべきである。

5、被申請人は、補償額決定の時期を昭和三六年三月とし、収用の時期としなかつた違法がある。

申請人室原知幸所有の松九本、申請外穴井マサオ所有の松三二本、樅二本、同末松アツ所有の松六本、樅一本については、何れも昭和三六年三月における対象について補償額を決定している。

それらは、何れも立木で、三年間成長を遂げたものであることはいう迄もないが、被申請人は、三年前の物件調書に基き、当時の立木について評価をなした違法があり取消さねばならない。

6、物件立木の評価方式に違法があり、取消すべきである。

イ 物件の評価は、鑑定人鑑定を採用しているから、鑑定人の評価説明によると、運搬費を何れも志屋部落迄としている。運搬費は、その方法、粁数など、抽象的客観的な方式により算出されるべきであるが、本件においては、それを誤り、主観的に評価しているが、更に移転先の志屋部落は、本件事業により水没し、事業計画によれば、志屋部落内に存在する物件は移転を要すべきとされていること明らかであり、かような移転先えの運搬費を評価することは違法である。

ロ 又、物件の再築費については、前同様、鑑定書の評価方式によると、何れも評価に含まれていない。これまた、客観的、抽象的に評価すべきであるのに、主観的に評価した違法がある。

ハ 立木の評価方式は、被申請人が独自の方式を用い、その詳細は示されていないが、立木の内、杉、檜については、一本当りの評価が次の様になつている。

年数   単価   備考(鑑定書によるもの)

六   七六七   二一六

一〇 一、〇一九   三八九

一一 一、一四五   四三八

一二 一、一四五   四九〇

三〇   八二五   八八二

三三   五八三 一、〇六〇

これによつて明らかなことは、被申請人の評価は、一一年及び一二年生を頂点に、その前後は隔たる程低い単価になつている。

立木の評価は、伐採による損失を求めるものであるから、一一年生と一二年生が同一の単価となること又、年数を経る程、その単価が減少することは実情にあわず、且つ違法である。

7、補償評価は、現物について行われていない違法があり、殊に物件は、存在の有無、位置、形状、構造などを無視した違法がある。

立木の内、5項に述べたこと、物件中、建物は存在しない一七棟について(四五棟の内五分の二に達する)補償をなしたことが、そのあきらかな証拠である。恐らく、被申請人は、すべての物件について裁決書と現物とを一致せしめることが不可能であろう。

補償は、その物件の特定について、申請人等が、審理の段階で、当然起業者の釈明を求め、且つ現地検証などでその確認を経て意見を陳述する予定であつたが、被申請人は、一方的に結審をしてその機会を奪い且つ起業者に対して釈明をもなさない結果、全くでたらめな裁決をさぜるを得なくなつたが、被申請人は、無法にも故意にそれらを無視して、物件の特定を行わず、補償の評価をなしたものである。

8、物件の所有者を、三名の共有に推定して補償の決定をなしたが、これは合理的根拠に基ずかず違法である。

物件の内、電話、電灯は、所要の手続を要し、夫々電話は、申請人室原知幸、電灯は申請外穴井隆雄、同室原知彦の名義で手続されており、申請人が主張して立証さえした所であり、建物の一部が三名の共有で登記されていることは事実ではあるが、登記制度のあり方から考えても、前記、手続名義を登記の手続から簡単にくつがえすことは全く不合理極まる。

更に、その他の物件については、被申請人より権利関係の内容をあきらかにする様、意見書の提出を命ぜられてはいるが、物件調書のみによつては、現物との対照は非常に困難であり、相当の期間と更に起業者の釈明とが必要であつて、申請人は被申請人に対し、後に述べることとしてその意見陳述を保留しているのである。にも拘わらず、被申請人は、突然結審し、裁決書において、申請人の意見がないとした上、勝手な推量の根拠にしていることは、違法である。

9、裁決は、物件の内、屋内動産の移転費用を三〇、〇〇〇円と決定したが、全く事実と離れ、合理的根拠を有せず違法である。裁決申請においてすら屋内動産の移転料は、算定の合理的根拠がないため算出されておらない。

屋内動産としては、食糧、燃料、炊事道具類、寝具、畳、建具、器材、ラジオ、テレビ、書籍資料類、その他大量のものが存在している。

而して、申請人の意見をも聴かず、突然裁決書に現われた形式評価額などからそれが根拠のない推量であることが明らかである。

10、裁決の前提とされる事業認定が、違法である場合には、一連の手続における後行行為は、先行行為の違法性を承継し、無効となるので、本件裁決は違法であり取消すべきである。本件事業認定は、多目的ダム建設事業につきなされたものであるのに、その新築に要する手続を履践しておらず、具体的計画の域に達しておらないため、事業認定申請書添付の事業計画書による計画は、多目的ダムのものとはいえず、不確定のものについて、なされた違法がある。

本件ダムは、治水と発電の多目的であるが、発電部門については空疎なもので、それが公益性を有するか、緊急性を要するか否かなどについては全く判断すべき程度のものではなく、治水部門については、洪水をカツト出来るか否かと、水害を防除できるか否かとは全然別の問題ではあるが、起業者の計画では、洪水を計画どおりカツトすることが不可能であり、又水害防除の可否については、仮に洪水をカツトすることが計画どおり出来たとしても、それは不可能であり、洪水カツトが不可能である以上、それを前提とした水害防除計画は、全く偶然に頼るものというほかなく、それでは計画とはいえないものとなつてしまう。

かように本件計画は、計画としては無益なものであるばかりか、構造及び操作の点であらたな水害が予見され、結局有害無益な計画といわねばならない。

かような計画に事業認定を与えたことは、違法で無効な処分たるを免れ得ない。

従つて、その後行行為たる本件裁決は、違法で、取消すべきである。

三、右の次第であるから、本件裁決を求めるため、昭和三九年三月二一日本訴に及んだものであるが、数々の重要な点について、違法があり乍ら、収用の時期は昭和三九年四月五日とされ、起業者の事業計画に従うと、昭和三九年度中、本件収用地において、試掘試スイが行われ、そのためには、地上物件は一切伐除されるほか、ダムサイト建設のため、岩盤に到達する迄表土をはぎとることとされており起業者は、既に収用の時期をまたずこれらの作業に必要とされる人員、資材の搬出入道路、橋などの建設に着手し、進行中である。

従つて、本件裁決処分後の手続の続行により、申請人は、回復困難な損害を受けることあきらかで、且つそれを避けるため緊急な必要がある。

又、本件裁決の事業は、治水とされ、治水事業が一般に公共の福祉に関係し、その事業遂行が一般に急を要すること論を俟ないが、それはあく迄国の事業が一般的にそうだというのみで、本件において裁決処分の効力停止により公共の福祉に重大な影響を及ぼすことはあり得ない。よつて本申立をなすものである。

第一準備書面

一、本件収用裁決が取消さるべき理由を申請人はつぎのように附加陳述する。

憲法第二九条三項によれば、国家が私有財産をとりあげるためには、第一に「公共のために用いること」、第二に「正当な補償」がなされることが要件とされている。しかしながら、本件収用裁決は、そのいずれの要件をもみたしていない。

第一に、本件収用裁決では、公共の福祉に合致する場合でないのに、申請人の土地、建物その他の財産が国にとりあげられている。被申請人は治水のために本件各物件を収用したと主張しているが、本件収用の事業目的たるダム建設は、筑後川治水のためには有害無益であり、公共の利益に役立つところはない。右ダム建設の真の目的は、一部巨大独占資本家のために、国民の血税を費消しようとするものであり、公共の福祉に合致するどころか、かえつてこれを大きくふみにじるものである(詳細は申請人第二準備書面)。よつて本件裁決は公共の福祉によらずに私有権を侵害するもので、憲法第二九条三項に違反している。

第二、本件収用物件のなかには、申請人の所有物であるのに、正当な補償がなされずに国のためにとりあげられたものがある。たとえば、阿蘇郡小国町大字黒淵字天鶴五八二五の一の土地には、明らかに申請人の所有物であるのに、穴井マサオ、穴井昭三、末松アツの所有物として収用裁決され、申請人にはなにらの補償もなされないまま、申請人の土地が国にとりあげられる結果になつている。申請人からみれば、この部分は、なにらの補償もないまま、被申請人から収用され、所有権がうばわれたことになる。また、収用裁決の対象となつた建物はすべて申請人単独の所有物であるのに、被申請人はこれを申請人とその他の関係者の共有物として収用裁決し、したがつてこれらの建物については申請人に正当な補償をしなかつた。このような収用裁決は憲法第二九条三項に違反し、重大且つ明白な瑕疵があり、無効又は取消さるべきである。

二、執行停止の必要性について

右のとおり、本件裁決は無効又は取消さるべき重大な瑕疵を有しながら、その効力を停止しなければ、当然に戒告、代執行と強制手続が続行され、特に代執行が実施された場合は申請人等の所有にかゝる建物等の物件は破壊され、立木は伐切され、更に山地は表土削掘工事によつて岩盤に至るまで削り取られるという、全く原状回復は不能という事態に陥入ることとなる。しかも、右物件の全額評価においても、右のとおりの状況に立ち至るので、到底正当な価額の評価も出来得なくなることは明々白々であろう。なんとなれば、代執行によつて評価すべき物件は、完全に消滅し、その評価が不可能となるからである。

加えるに、本件裁決の原因であるダム建設の目的は、公共の福祉に合致しないばかりか、却つて水害の危険等を助長するもので、公共の福祉に反する事業であることは、前記で述べたとおりであるから本件裁決の執行を停止する緊急の必要性、充分に存するものである。

以上

第二準備書面

第一準備書面中において本件収用の事業目的たるダム建設が公共の福祉をふみにじるものである点主張したが、以下右の点について補足する。

第一、建設省が松原・下筌ダムを建設しようとするのは、筑後川水系における昭和二八年の如き災害を防除しようとするにある。ところで治水計画は人間の身体生命および住居を洪水から防禦することを第一義とする計画でなければならない。従つてその方式や技術は人智の限りを尽さなければならない。人智の限りをつくすことは古今東西の最高の技術を適用すること勿論であるが過去の欠陥是正に全力をあげ同じ欠陥を繰り返さないことが必要である。

右の様な観点から本件松原・下筌ダム建設の計画をみた場合果して科学的に検討さるべくして検討されずに見過された点はないか、又調査の精度について充分な程度に行われた結果の計画であるかと言えば、甚だ疑問と言わねばならない。本件計画について科学的に当然検討されるべくして検討されていない点を左に述べる。

(イ) 本件計画の洪水量策定の問題点

建設省の計画に依れば昭和二八年の洪水期の高水量を長谷地点において八、五〇〇立方米毎秒とし、松原・下筌ダムに依つてその中二、五〇〇立方米をカツトすると言うのである。しかしながら災害直後九大、地建、気象台の共同調査によれば九、〇〇〇乃至一〇、〇〇〇立方米が毎秒流れたとされており本件計画の数値と異つている。これは粗度係数のとり方等に欠点があるからであるが、いずれにしても二割程度の誤差は普通見込まれなければならない。

このように誤差が含まれる計算値のうちどれを基準として選ぶかは安全を旨として考慮されなければならない。

それはこと人命に関するからである。本件計画はこれらの算定に当つて簡単な一方式のみで検討した結果をもつて十分とみなし、しかもその数値に絶対の自信をもつよう印象を与える言動をとつている。

誤つた安心感を与えたためかえつて水害を助長した例は昭和三四年伊勢湾台風の際、建設省建設の海岸堤防の欠壊、破堤による大量の人命損失にみられる。

加うるに本件ダムの計画には土地の利用状況による水の出方の違いも全く考慮に入つていない。降雨がどの程度河に流れ込むかは宅地と農地では異り、工場やアスフアルト道路では田畑と異るのである。

(ロ) ダムの配置の問題について

筑後川はその上流で、流域がほぼ同じである大山川・玖珠川の二支流に分れるが、松原・下筌ダムは大山川筋にのみ設置される。降雨は大山川筋のみに降るとは限らないし逆に大山川に少く玖珠川に多い例(昭和三〇年、三二年の水害)も数多くあり、上流域に雨が少く中下流に降雨があつて大災害を起した記録(昭和一〇年)が沢山あり、大山川筋のみの本件ダムでの洪水調節は期待できない。中下流部の水害を防ぐことは不可能である。

(ハ) ダムサイトの地質について

松原・下筌ダムのダムサイトの地質はいずれもダム建設に不適な地質構造の地点であるが、特に下筌ダム地点はここから約一粁上流までの間は温泉変質作用を激しく受けた部分で諸所に大規模の地すべりを起した地形がよく発達している。温泉変質作用と言うのは地下から温泉のもとであるガスが上昇して来てこのガスの作用で岩石が変質し粘土化ブロツク化したもので脆弱化したものである。従つてかかる脆弱な地点にアーチダムを建設することは甚だ危険である。

(ニ) ダムの堆砂について

両ダムとも地質が脆弱であるため、地すべりや崩壊によつてダムに堆砂し、バツクウオーターが上つてくる危険がある。

下筌ダムについては鯛生川にある川辺小学校、松原ダムについては杖立温泉がこうした堆砂による水没の危険が多い。

第二、前述のとおり本件ダムはその事業目的としている治水の効果を発生すべく、あまりにもずさんな計画に基くものである点を述べたが更に本件ダム建設がかえつて公共の福祉に損害を与えるおそれの存する点を述べる。

(イ) ダム上流の災害

ダムの背水終点において、堆砂が起り、更に上流にまで、河床の上昇があり得ることは既に一般に認められている。本件計画における松原ダムの背水終点は杖立温泉街の中にあり、ここでは水害の激化が予想されている。

本件計画においては、あらたな水害を発生せしめることとなつている。

(ロ) ダム下流の災害

一、又、ダムの下流においては、本件計画がダム貯水量を基準に治水効果を検討していない結果、既に述べたとおり計画流入量以下の状態でも、長期降雨の際は計画放水量を上回ることがあり得るので(鎧畑ダム、美知ダムはその例である)、下流は不測の出水により、又は水害が起り得ない降雨量においても、放水量が加わり、何れもあらたな水害を発生させることとなつている。

二、この際ダム直下流においては、放流時の衝撃波による破壊が起り得る(昭和三六年六月秋柴ダムで起つている)が、これの対策がない計画では、通常の流れ方による流量では起り得ない堤防護岸の欠壊、破堤を起すこととなる。更に、所謂鉄砲水となつて、下流市街地たる日田市の災害は、激化されることとなるのである。これのみでなく、ダム下流の河床低下が起り、井戸水、かんがい取入口は旧状では使えなくなり、又ピーク発電時のみ放流される結果朝夕だけ水量があり、且つ、冷却された水が放流されるので、かんがい水にそのまま使用し得ないなどの公害が発生する。

(ハ) 災害の発生、助長

右に述べたとおり、ダム建設に避けられない、又は本件計画のために発生する公害があつて、決して過少に評価さるべき問題ではない。可能な条件によれば、本件計画でいう治水効果額以上の水害はあり得ることである。かような計画については、公益性を否認されるものであろう。

(ニ) 防災と発電

一、本件計画では、治水と発電との二目的で、建設、運用される。

洪水カツトについては、松原・下筌両ダム共洪水期には有効貯水容量を完全に空虚にすることによつて、行われることとなつている。低水位と堆砂位のレベルとの差は僅か一米である。而して、下筌発電所の形式はダム式であり、且つ有効落差九二米とされている。従つて、下筌発電所の位置は、松原ダムの河床高と殆んど同じ、同ダムの堆砂位から下ること約三五米の地下に潜ることとなつている。この様な発電所は、洪水期に全く回転しないが、一体その発電用水取入口はどこにあり、下筌発電所の排水はどこに吐出されるのであろうか。これについては、今迄公表されないまま、殊更に秘匿されているのであきらかでないが、発電に当つては可成りの無理があるだろうことを推察できる。

二、このことは、発電のために、治水が犠牲にされる惧を多分に内包するであろう。

ダム機能上に対立矛盾があることは、先に指摘されている。洪水期にはダムが空虚となるから発電は全く行い得ない。又洪水期を過ぎれば、雨量が減少するであろうから貯水に期間が永びく筈である。

推測に過ぎないが、洪水期に完全にダムを空虚にして治水に万全を期することとなれば、恐らく洪水期の前後も同様、発電は期待できないので、年間三ケ月程度の遊びを考える必要がある。然し、本件計画においては、発電は約四万KWとされているのに、九電の最近の計画では約六万KWと発表されている。いうまでもなく発電側は発電量の増大を希望し、その様にしか行動しないものである。このことはダムを空虚にして治水を万全にすることと対立矛盾するであろう。

三、これは、防災の効果を減少せしめる丈でなく、反つて災害を激化せしめることを注目しなければならない。

我国においてこの様な事例は既に実験済である。管理に関することは、充分に行えば問題を解消するという反論があるかもしれない。しかし、貯水量の具体的調節計画及び発電取水口、発電所の位置などは、基本計画の策定によつて始めて確定するものである。将来具体的に確定されることで、現在の仮定にたつ公益性の判断は無意味である。十二分の危険を有し、而も確定されない事実を前提にして公益性の判断をなしたことは違法である。

四、発電は、一般的に公益事業であるといわれている。果してそのとおりであろうか。

発電は専ら私企業の形で行われる。電気料金は、完全に企業採算の本で決定されるし、株主に対する利益配当も行われている。電力はいかなる時でも無料ではない。せいぜい当該企業内部においてか、あるいは電力会社が無償で得た便益の対価の趣旨において無料であるに過ぎない。時によれば前払が要求され、あるいは他人の使用に係る電力料金支払を強要され、之を拒否するときは電力の供給を行わないことさえある。

電力という近代社会に欠くことのできないエネルギーを取り扱うということ丈をもつて、直ちに公益事業といえるものであろうか。最近、火力発電は単価を下げているのに比べ、水力発電は単価が上りつつある現状である。本件計画においては、既設の発電所が三ケ所(合計一五、七〇〇KW)廃止される。約二五、〇〇〇KWの出力増のため約六〇億円に近い出費をなし、この出費増は、消費者の電気料金負担となり、出力増は株主に配当されることとなる。この点、公益性については重大な疑問あるものというべきである。

第三、以上の様に本件ダムは建設省の計画に云う治水の効果は全くなく、逆に上流或は中流地帯に災害を起す可能性の極めて多いダムであるが、かゝる有害無益な松原・下筌ダム建設を建設省は何故強行しようとするのであろうか。

それは云うまでもなく松原・下筌ダムが発電の目的を有するからである。

本件ダムの総工費として建設省が計画しているものは一一七億八千万円であるが、その分担の内わけは国の負担七五億一千五百万円、福岡県負担二四億八千六百万円、佐賀県負担八億六千万円、大分県負担四億一千万円、九州電力負担五億一千万円である。しかも九州電力、本件ダムの唯一の受益者である九州電力は本件ダムに依り旧式の発電所が三ケ所水没するための保証金として一五億円を国より支払をうけることになつている。従つて、九州電力は本件ダムに依り旧式発電所に比し数倍の発電能力を持つ新式ダムを建設し、逆に国より一〇億円の補償をうけるしくみになつているのである。国並に地域住民の税金を収奪することに依つて電力のコストを引下げ合理化を遂行するためのダムであることが明らかである。しかも本件ダムの建設について、建設省は代執行をもつてこれを強行しようとしている。こうした強行手段に訴えてまで国が本件ダム建設を急ぎ強行しようとしている意図は何処にあるであろうか。

池田政府のひようぼうする高度成長政策の計画に依れば、昭和三五年度以降一〇年間の工業の発展に伴つて、北九州・福岡・筑後・佐賀東部・有明工業地帯に必要な工業用水の量は一日二五五万屯である。ところが、三池炭鉱の坑内水迄利用するとしても現在迄獲保しえる目途のついたものは僅かに一一五万屯にすぎない。そしてその不足一四〇万屯の水についてこれを筑後川に求めようとする計画である。しかも松原・下筌ダム以外には筑後川に適当な地点がないと発表されているところからみれば、本件ダムに工業用水利用の活路を見出さんとしたことも自ら明らかである。工業用水は工業発展の動脈と云われており、池田内閣がその高度成長政策を押し進めるため、北九州・有明工業地帯の工業化の成否が松原・下筌ダムにかゝつているのである。現在本件ダム以外にも筑後川の各所で農業用水の取水口がとり上げられ、工業用水のためのダムとして併合されつゝある。しかもその際こうしたダムの建設については農業用水獲保のためという名分がつけられている。しかしながら、且つて愛知用水が農業用水の名目で建設されながら竣工の暁には、屯当り三〇円の高価な水となり農民の使用が不可能となり結局工業用水として原価を割る屯当り五円五〇銭の安価で利用されている現状をみれば筑後川におけるダムが名目は農業用水としながら遂に農民から水を奪うインチキなものであることが明らかである。

本件ダムもこうした工業用水として一日一五五万屯の不足分を補填すべき使命を担わされており、北九州・有明工業地帯の死命を制するものとして建設省はその建設を強行しているのである。

本節の最後に国が本件ダム建設を企図した政治的意図について一言する。昭和三八年三井鉱山、三池炭鉱、三川坑において史上二番目と云われる大爆発を起し、四百五十数名の尊い犠牲者を出し、現在なお百数十名の人が廃人同様の状況で入院加療中であると云う大惨事が起つた。右災害の原因については、こゝで云う迄もなく公知の事実となつているが、昭和三五年の三池争議の終結を契機とし、三井資本が労働者の生命を無視した生産第一の合理化を強行したことにある。この三池の大惨事が証明しているように企業内の合理化は既に限界に来た。三池炭鉱に限らず他の企業においても、惨事の発生を予想せずしてこれ以上の合理化は不可能な状況に立至つた。そこで企業は企業内の合理化から企業外の地域の住民を収奪することに依る合理化に進んだ。本件ダムの建設がその好例である。

福岡、大分、佐賀、熊本の地域住民の負担において、又地域農民から農業用水を収奪して九州電力のためダムを建設する。或は北九州・有明の大企業のためにダムを建設せんとするのが本件ダムである。

しかも三池の大惨事がそうであつたように、本件ダム建設も全く科学的な根拠を欠いた極めて危険な計画である。

三池炭鉱の合理化は、三池炭鉱に働く炭鉱員の生命を危険にさらし、四百五十数名の生命を奪つた。松原・下筌ダムは筑後川流域の全住民の生命財産を危険にさらす。

このように筑後川流域の全住民を危険にさらし、流域の農民から水を奪うダム建設が、公共のために計画されたものと云えるであろうか。

洪水防禦のためとは真赤ないつわりで、九州電力の発電のため、北九州・有明工業地帯の大企業の工業用水獲保のために地域住民を収奪して建設されるダムが公共のためと云えるであろうか。

憲法第二九条三項に云う、公共のためとは、そんなものを意味しないことはあまりにも明らかである。

意見書

申請の趣旨に対する意見

本件申請を却下する。

との御裁判を求める。

申請の理由に対する意見

第一、事実の認否

第一項、認める。

第二項、全て争う。

1のイについて

申請人室原知幸は、本件収用裁決処分(昭和三九年三月一日)後、収用の時期(同年四月五日)前に当る同年三月一七日に至り、本件字天鶴五八二五番の一の土地につき、申請外室原是賢への贈与(贈与年月日は同年二月一〇日)を原因とする所有権移転登記を了している。(疏乙第一号証)従つて同申請人は今日もはや右土地について何らの権利を有しないものといわねばならない。

しかるに、同申請人は、この土地に関する土地調書乃至同調書添付図面の矛盾をつきこれを看過した本件裁決の違法を云々されておられるが、行政事件訴訟法第一〇条第一項によれば「自己の法律上の利益に関係のない違法を理由として取消を求めることができない」から、この点に関する限り同申請人は、本案について全く理由を欠ぎ、勿論これを以て執行停止の理由とすることは誤つている(同法第二五条第三項参照)。

なお、申請外九州電力株式会社の本件送電線鉄塔に係る賃借権が、土地調書上、字天鶴五八二五番の一の土地と、字鳥穴五八二八番の一の土地にまたがつて記載されているのは、同会社の前身である日本発送電株式会社が右申請人及び申請外穴井子之吉から、右の土地をそれぞれ津江、黒淵間の送電線路架設のため賃借していたためである。(疏乙第二号証)。そしてこのように賃借権の範囲を、土地調書添付図面図示の如き鉄塔の設置地点より広くとつているのは、鉄塔の構造上地中に深くかつ、接地地点よりも外延に広く鉄塔の基礎構造物を埋設し、これを維持管理する必要があるからである。故に土地調書と同調書の添付図面との間には、何らの矛盾も存しないのである。

1のロについて、

前記の如く、字天鶴五八二五番の一の土地は、本件収用の時期に国がその所有権を取得する前においては、申請外室原是賢が旧所有者であつた訳であり、これ以外の本件収用に係る四筆の土地即ち、字鳥穴五八二八番の一、同所同番の二、同所五八二七番の三、同所五八二九番の各土地はそれぞれ申請外穴井マサオ、同穴井昭三、同穴井紀、同末松アツが旧所有者であつた。

従つて、以上五筆の境界線に関し申請人が主張するA、B、C、D、Eの地積の出入が仮りにあつたとしても、そのことについて法律上の利害関係を有するのは、前記収用時における右五名の旧所有者だけであつて、申請人室原知幸にとつてはこれまた自己の法律上の利益に関係のない事柄といわねばならない。されば同申請人はこのことを以て執行停止の理由とすることはできないものというべきである。

なお、前記五筆の土地の境界は、申請人が申請外穴井隆雄(同人は、前記旧所有者穴井マサオの夫であり、同昭三同紀夫妻の親に当るばかりでなく、これ等三名の各所有の土地であつた本件収用土地を、昭和三〇年一一月一八日その父に当る穴井子之吉から受贈し、同三六年三月二〇日右の三名に贈与した(疏乙第三号証の一乃至三参照))、及び申請外末松豊(同人は前記旧所有者末松アツの夫末松元の養父に当る)と共同で熊本地方法務局小国出張所へ提出した家屋建築申告書(疏乙第四号証の一乃至八)のほか、字図、林相、尾根、崖、谷等の地形地理上の著明な事物や地元住民の説明等を総合勘案して起業者(建設大臣)が確認した境界線を、被申請人は、調査のうえ相当と認めたので、これに基いて収用裁決したものである。

なおまた、この点については被申請人は申請人に対し昭和三八年一〇月二九日意見書の提出を求めたのであるが、(疏乙第五号証)、同人からは何らの回答がなされなかつた。のみならず、被申請人は本件裁決にあたり収用土地の境界線を前記の如く確定すると同時にこれに基ずいて、その各土地の損失補償額を算定したものであるところ、申請外室原是賢を除く他の被収用者即ち、前記旧所有者等はこの土地の補償金を同三九年四月八日受領しており(疏乙第六号証)かつ、同人等から一旦申立てられた本件執行停止の申請も同月一〇日その裁決取消の訴とともに取り下げられていることは御庁において明らかなとおりである。されば、申請人提出の疏甲第三号証(上申書)は果して申請人を除く穴井隆雄、末松アツの真意に出でたものかどうか甚だ疑わしいものといわなければならない。

2について、

所在物件については、航空写真その他対岸からの確認(写真撮影を含む。なお、いわゆる蜂の巣城は津江川左岸から、近くは二〇米遠くは九〇米の至近距離に望むことができる)、また工事施工者(電線並に電話線等)の工事書等を参酌のうえ起業者側の説明も聴取して確認し更に傾斜面の曲折等も十分考慮したうえ収用裁決したものである。

したがつて、それが現地の実測に基ずかなかつたとしても、当時申請人等の調査拒否が断固続けられ被申請人等の再三に亘る立入りの要請も容れられなかつた状態においては、かかる諸資料を基礎として本件の如き裁決をするも、またやむをえないところであつて、この点何ら違法はないものというべきである。

3のイについて、

昭和三六年四月二七日提出された本件裁決申請書については、被申請人は土地収用法第四三条の規定により、同申請書及びその添付書類について検討したのち、同年九月一六日書類の欠陥の補正を命じた(疏乙第七号証)。これに対し同年一〇月七日付九建三六用発第七五二号「裁決申請書の欠陥の補正について」と題する補正書が提出されたので、同年一〇月二〇日に本件申請を受理したものである。

しかしながら、裁決申請書の提出から本件申請の受理までの間に申請人の主張する如き申請手続が違法の疑の濃い故に申請のやり直しを起業者に求めた事実はない。

また、審理手続において、申請人主張の如き偏向、先入感をもつて臨んだこともない。

3のロについて、

申請人主張の如く現地調査を行つたことは認めるが、この現地調査は必ず「実地に則して」調査しなければならないものではなく、「現地について」調査すれば足りるものであるから(土地収用法が現地調査と実地調査とを使い分けていることに留意、高田賢造・国宗義正著土地収用法コンメンタール二〇七頁二行目参照)、前述の如き至近距離から現地についての調査確認を行つている以上、権限の行使について違法の非難をうけるいわれはない。

また、その際企業者の出張所(松原・下筌ダム工事事務所ダム第一出張所)において、起業者の有する現地に関する諸資料を、あくまで現地調査の一環として調査したことはあるが、審理の実体に関する意見の聴取を行つたものではない。

なお、また、昭和三八年一二月二日被申請人が熊本県庁内において、前記現地調査の結果につき会議を開催中、たまたま起業者代理人が、さきに提出ずみの「下筌ダム及び松原ダムの建設に関する基本計画書との関連についての意見書」の説明のため来庁したので、その説明を受けたことはあるが、この意見書の具体的内容については、同年一二月九日開催の第一三回審理において、起業者代理人から陳述され続いてその意見書の写を一二月一八日土地所有者関係人の代理人に送付したところ疏甲第一五号証の一の意見書の提出を見た。したがつて、申請人主張の如き審理の公開当事者の審理参加権を侵害したという非難は当らない。

3のハについて、

昭和三九年一月当委員会の委員数名が、東京、関西地方に赴き、内閣法制局、東京都及び京都府収用委員会を訪ね土地収用法の解釈に関する一般的意見の交換を行つたこと補償物件評価の鑑定を鑑定人八名に命じたことは、いずれも本件裁決の適正、公平を期せんがためのものであり、また、結審後数日を出でずして裁決書が申請人主張のように発送されたことは、事務処理上当然の所為であつてこれまた申請人から違法なそしりを受ける筋合はない。

また、申請人側の証拠申出の採否を保留したとの点は、その必要がないと判断したからであつて、故意に審理参加権を侵害したことはなく、本件審理は、二年有余に亘り前後一七回に及ぶものであつて、けつして審理を尽さなかつたとの非難は当らない。

4について、

起業者が事業認定を受けた際は、特定多目的ダム法第四条の基本計画を作成しておらず、審理期間中の昭和三八年一一月二〇日この基本計画の告示があつたことは認めるが、本件裁決申請書に添付された事業計画の内容と、右の多目的ダム法第四条の基本計画の内容とを比較してみるに、両者の間には主目的である治水の計画については何らの相違は認められず、ただ、附随的に行なう発電の計画の内容については、若干の異動がみうけられるにすぎない。即ち、申請書添付の事業計画作成当時、ダム使用権設定予定者に擬せられていた申請外九州電力株式会社が、この基本計画においてはダム使用権設定予定者として確定したことのほか、申請書添付の事業計画作成後の電力需要の変動等に伴い、ピーク発電の度合を強めたものに変更されただけである。従つてこのことから直ちに土地収用法第四七条の規定に基づき却下すべきものとする申請人の主張は当を失しているというべきである。

さらに、多目的ダム法第四条の基本計画の内容が申請書添付の事業計画の内容と「著しく異るとき」に該当するか否かについてみるに、ダムの高さ、貯水池の大きさ、貯留量の用途別配分等、ダムの諸元は一切変らず、ただ、単に発電効果に関する計画の変更が認められたのみでありこの計画変更により土地所有者関係人等の権利関係に影響はなく収用すべき土地の区域についても変動はきたさない以上これまた却下すべき理由は全くないのである。

なお、申請人は「起業者の計画においてすら治水の経済効果は減少変更しておる」と主張するが、これは従来治水の経済効果を数字で表すのに算術平均値をとつていたのを多目的ダム法第四条の基本計画を作成する際加重平均値(幾何平均値)の出し方で算出したための結果であり、その総額(過去一〇年間)においては、何ら変つていないものであるから、この点に関する申請人の主張は失当である。

なおまた、治水計画の当否については、事業認定を受けた事業である以上、被申請人としては事業認定の適法、違法を検討する権限はないものである。したがつて、この点に関する申請人の主張を採用せずその資料提出命令について、これが必要を認めなかつたのは、これまた当然のことであつて審理不尽の違法は存しない。

5について、

申請人は、立木の補償額決定について、物件調書作成時(昭和三六年三月)後、本件収用裁決までの三年間の立木の成長を看過した違法があると主張するが、これまたこの立木はいずれも申請人以外の者の所有であつて、申請人がこれに関する違法の主張をなすのは筋違いも甚だしいものといわねばならない。

なお、本件裁決申請書添付書類第三号ホ(2)に記載されている立木の三年間の成長についてみるに、林野庁林業試験場調製にかかる「北九州地方あかまつ林林分収穫表」(疏乙第八号証)に徴するとき、その成長の度合は約三、四糎であつて、立木の補償算定上何ら影響を及ぼすものではなかつた。

詳言すれば立木の補償額の算定には、目通り何糎以上何糎未満までは金何円という如く一定の目通りの巾毎に損失額を算出する方式になつているのであるから、これを本件について具体的にあてはめてみたところ、この巾を超えて上のランクに繰り上がるべきものはなかつた。

かくて算定したものが本件立木の補償額であつて決して三年間の成長を無視したものではない。

6のイについて、

申請人は物件の移転に伴う損失補償額の算出に当り、その移転先を志屋部落としたことは違法であると主張するがその主張は誤つている。けだし、物件の移転は収用の時期までに履行することを義務付けられているものである(土地収用法第九八条)から、この移転完了期限の時点における移転先を基準にして算定すれば足りるわけである。

そこでこれを本件について見れば、その移転完了の期限は昭和三九年四月五日であり、この時点においては志屋部落は決して水没するものではなく、松原ダムが湛水に入り同部落が水没するのは昭和四三年度末即ち、同四四年三月に至つてからであると基本計画上予定されているものである。故に志屋部落を基準とした本件物件の移転補償額の算定には何らの違法はない。

6のロについて、

当該物件は、その設置の目的、その使用の状況等よりして解体移築を要するものとは一般に考えられないので、これら物件の再築費を特に見積る必要がないと考えられる。故に再築費を見積るべきであるとの申請人の主張は失当である。

6のハについて、

申請人は本件立木の評価方式につき被申請人は独自の方式を用い実情に合わない評価をしているから違法であると主張するが、被申請人のとつた方式は決して特異なものではなく、一般に行われている通常の方式に従つたものであり、また実情に則した評価を行つたものである。

のみならず、こゝで申請人が取り上げている立木は全て同申請人以外の被収用者の所有にかかる立木に関する事柄であつて、これまた自己の法律上の利益に関係のない違法にほかならない(疏甲第一号証の一の別表第一損失補償金額の内訳のうち、一の(2)の(イ)、同二の(2)の(イ)、同四の(2)の(イ)、同五の(2)の(イ)参照)。

7について、

申請人は本件補償評価が現物について行われず特に建物につき物件調書作成時には、四五棟あつたものが、裁決時には内一七棟が存在しないのに、存在するものとして補償したのは、違法であると主張するが、被申請人は、既に上述した如き諸資料及び可能最大限の方法を用いて物件の調査確認を行つたものであり、被申請人は決して申請人が主張する如き「存在しない一七棟の建物につき補償をした」とは考えていない。

ところで、申請人自身果して、物件調書記載の四五棟の建物(その位置について、疏乙第九号証の図面を参照されたい)のうち、どれとどれが滅失し、どれとどれが本件裁決時に現存していたと主張立証されるのであろうか。この点に関し申請人は疏甲第一三号証を提出しておられるけれども、これだけでは未だ十分疏明がなされたものとはいいがたく、かかる特定がなされない以上右申請人の主張はとるに足らないものというべきである。

8について、

電灯電話設備は、これらの物件が架設された建物に附帯して設置されるものであるから、特段の事情のない限り建物所有者がこれらの所有者であると考えるのが相当である。

しかして、本件の場合かゝる特段の事情が認められない以上これら諸設備の所有者は、この設備を附設した本件建物の所有者即ち、申請人室原知幸、申請外穴井隆雄、同末松豊三名の共有と推断したことについて何らの違法はないものというべきである。

9について、

屋内動産の移転料の算定は、立入調査を拒絶している現状においては、如何なる物件が存するものか、詳細を把握することが困難であるが、本件建物内に普通と異つて特段の移転料を要する屋内動産が存するとは考えられないので、通常行われている補償基準を採用し、最高額三万円の動産移転料を決定した本件裁決には何ら違法はない。

10について、

本件収用裁決の前提とされる事業認定は適法かつ有効に存在し、申請人からの事業認定の無効確認の訴(東京地方裁判所昭和三五年(行)第四一号)の提起にかゝわらず同裁判所は、昭和三八年九月一七日付判決において、その請求を棄却しているばかりでなく、これに関する申請人からの執行停止の申立(同地方裁判所昭和三六年(行モ)第一〇号)も同日付で却下されている。

しかして、事業認定の適否については当収用委員会として、これが実体的審理をなす権限はなく、あくまでも収用をすべきかどうか、その補償額をいくらと裁定するかが、委員会の権限事項であり、かつ判断の対象とされるところである。

したがつて、「違法な事業認定であるにもかかわらず、これを看過してなした後行行為はこれまた違法である」との申請人の主張は、的はずれの議論というの外はない。

第二、被申請人の意見

(一) 上述したように申請人が、本件裁決処分につき違法ありとして主張するところは、悉く失当であつて本案について理由があるということはできない。即ち本件収用裁決処分は、全く適法であつてこれが効力の停止を求められるいわれは全然存しないものといわねばならない。

されば、本件収用裁決に基ずき起業者が熊本地方法務局小国出張所に対し所有権取得の登記申請を行つたところ直ちに受理され昭和三九年四月六日登記の完了をみたものである(疏乙第一号証参照)。のみならず熊本地方裁判所宮地支部は起業者側の申請に基ずき申請人等を相手方として同月九日妨害排除並びに処分禁止の仮処分命令を決定されている(疏乙第一〇、一一号証)。

(二) ところで、松原・下筌ダム建設事業はいうまでもなく、筑後川の洪水調節即ち、治水を主たる目的とし、副次的に発電効果即ち、利水を兼ねて昭和三三年以来工事を進められてきた公共事業でありかつ基本計画上昭和四四年三月をもつて本件両ダムが竣工すべく予定されているものである。

そして、この為には、C・P・M(クリチイカル・パスメソド限界予定工程と通称)のスケジユールが滞りなく進められねばならない訳である。

ところで、このC・P・M以上まず何よりも着手さるべきことは、本件津江川左岸の熊本日田間を通ずる県道から対岸に連絡するための工事用道路を建設することであり、続いては工事用橋梁の架設であり、更には字鳥穴五八二八番の一と同所同番の二の土地にまたがる表土の掘削工事にほかならない。かくてダム本件の形状構造を確定するための重要な地質調査に資するとともにダム堤体の基礎掘削を併せ行うことができるわけである。

しかして以上の道路工事、架橋工事、表土掘削工事、その他これに附随する一切の工事はこれに続いて行われるダム本体の建設工事に必要欠くべからざる前提工事であり、周知の如く申請人を中心とする反対運動のためその遂行が著しく遅延してきた経緯に鑑み、本収用裁決を契機として一挙にこれまでの事業の遅れを取り戻すべく目下工事用道路の建設並びに架橋工事が鋭意進められているものである。

(三) しかるに、申請人を中心とした前記反対運動も申請人を含む数名を残すのみとなるに至つた。しかして申請人は、はや本件収用の時期以前に字天鶴五八二五番の一の土地の所有権を申請外室原是賢に譲渡し、その拠を失つており、現在申請外穴井隆雄同末松豊との共同所有名義である建物工作物等の移転義務を負つているものに過ぎない。

したがつて、申請人室原知幸に関する限り本件収用裁決の効力停止の利益は将来に向つて、ただ上記建物工作物等の移転義務の履行を差し止める以外の何ものでもない。

(四) しかるに、同申請人はその定められた履行期限(収用の時期即ち昭和三九年四月五日)までに履行しないばかりでなく、ますます反対の意を固め支援団体その他第三者をして、その移転を固辞せんとしている。

そのため、熊本県知事は起業者の請求に基づき本年四月一〇日申請人等に対し「昭和三九年五月五日までに収用地外に物件を移転するよう」土地収用法第九九条第二項及び行政代執行法第三条第一項の規定により戒告を発した(疏乙第一二号証)。

ところで、もし本件収用裁決の効力が停止されるにおいては、申請人の前記建物工作物等の移転義務の履行を差し止められるに止どまらず、起業者の所有権取得の効果を将来に向つて奪うこととなり、そのため起業者がその所有権の行使として行う前記道路工事以下のC・P・Mも水泡に帰し両ダムの完成すら危ぶまれるに至るであろう。

されば、申請人につき、回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとは認められないのに対し、もし効力の停止がなされるにおいては、公共の福祉に及ぼす影響は到底計りえない重大なことといわなければならない。

よつて、本件効力停止の申請は、すみやかに却下さるべきものと思料する。

意見書(第二回)

一、本件裁決処分後の手続の続行により、申請人において回復の困難な損害を避けるため、緊急の必要があるとは考えられない。

(1) 申請人室原知幸は、本件収用裁決の対象となつている熊本県阿蘇郡小国町大字黒淵字鳥穴五八二八番の二の土地に住所を有するが故に「居住権」があり、従つてもし本件収用裁決の効力の停止を求めざれば、回復困難な損害を受けることが明らかで、かつそれを避けるために緊急の必要があると主張するもののようである。

(2) しかしながら右申請人が、右の五八二八番の二の土地に転居した旨、住民登録上転居届をなしたのは、昭和三九年三月三一日付であつて、それ以前は同人の生家である同町大字黒淵五六八六番地に居を構えていたものである(疏乙第一三号証の一)。そして同人は明治三二年九月一〇日出生以来、右転居まで六〇有余年右五六八六番に所在する家屋番号黒淵第三七六番、住家床面積九八坪六合(その内訳については疏乙第一四号証参照)に居住しきたつたものである。しかも同人がいわゆる蜂之巣城に住民登録を移したのは、全く本件収用裁決に基づく代執行その他の下筌ダム建設事業の遂行を妨害せんがためのものに外ならず、同人の妻室原ヨシ及びその家族即ち六女室原博子、七女同知子はなお依然として元の住居に居住し続けているのである。のみならず申請人は、この住居から前記住民登録の届出の前後を通じ、いわゆる蜂之巣城へ特に家財道具その他生活に不可欠の諸物件が引き移されたこともなく、申請人自身夜は概ね家族のもとに帰宅しているもののようである。

(3) その他申請人と行を共にして、いわゆる蜂之巣城に立て籠つたと称されている室原是賢(申請人室原知幸の弟知彦の長男に当る)及び穴井武雄の両名についてみても右申請人と同日付で本件字鳥穴五八二八番の土地に転居した旨の住民登録上の転居届がなされているだけであつて、これまたその妻子は依然として元の生家に居住しつづけさせており、その住家は先祖代々同人らの生活の本拠とされてきたものである(疏乙第一五号証の一、二、同第一六号証の一、二、の各住民票及び疏乙第一七号証の一、二、同第一八号証の各家屋台帳謄本参照。なお、疏乙第一八号証に家屋所有者として記載されている穴井芳弥は前記武雄の養父穴井米作の妻ナミの実父に当る―疏乙第一九号証の一乃至四の各戸籍謄本参照)。

(4) このように申請人は、本件収用裁決の効力を否定し、あくまでもダムの完成を実力をもつて阻止せんがため、住民登録を移転し居住権を取得したと公言するだけであつて、あくまでも実質的生活の本拠は妻子の居住する祖先以来の生家にあるものというべきであり、けつして墳墓の地を失い、そのため回復困難な損害を受けるという如きものではなく、従つてそれを避けるための緊急の必要はないものといわねばならない。

二、本件収用裁決の効力がもし停止されると、以下述べる如く公共の福祉に重大な影響を及ぼすものである。

(1) 松原・下筌ダム建設工事はいうまでもなく、筑後川の洪水調節即ち治水を主たる目的とし、副次的に発電効果即ち利水をかねて昭和三三年以来工事を進められてきた公共事業である。ところで、筑後川はその源を阿蘇外輪山、満願寺に発し、熊本、大分福岡、佐賀の四県を貫流し有明海に注ぐ流路延長一三八粁、流域面積二、八六〇平方粁に及ぶ九州一の大河である。しかるにその上流の杖立川、津江川が大分県日田郡大山村大字貫見で合して大山川となり、他の支流玖珠川と日田市において合し、更に花月川の支流を石井発電所附近で合せて、以下筑後平野を貫流するのであるが、この最終合流地点は標高七〇米であり、ここから有明海までの流路延長は七〇、二粁であるが故に河川勾配は僅か千分の一にすぎないのである。したがつて一旦本川の上流流域に集中豪雨が発生せんか、この地域は古来阿蘇外輪原野として毎年野焼により保水効果を奪い続けてきた原野状態であるため、その流下水量は一時に日田の合流地点に集中合流し、さきの本川の緩勾配と相俟て、筑後平野に数々の洪水被害を及ぼしてきたところである。

(2) このため明治二二年の大出水を契機に同二九年より直轄の改修工事が進められ、更に大正一二年より一貫せる改修計画の必要に迫られ河道部計画流量五、〇〇〇立方米/秒として工事を行つてきた。

しかるに、昭和二四年に至り当時の治水調査会は、明治二二年の洪水を再検討の結果、河道部計画高水量七、〇〇〇立方米/秒と算出しそのうち、上流ダム群により一、〇〇〇立方米/秒を調節し、更に下流河道部における調節量五〇〇立方米/秒を考慮し、河道部計画流量五、五〇〇立方米/秒と改訂し、爾来これに基き工事を行つてきたのである。

しかるに、その後たまたま、昭和二八年六月梅雨性降雨による大出水がおこり、本川二六ケ所の堤防が欠潰し、六七、〇〇〇町歩に亘る田、畑に氾濫し、田畑の流失等による損害四五〇億円、死者一四七名を含む莫大なる災害を惹起するに至つた。

このため従来の計画は根本的に再検討の必要に迫られ、その結果長谷における流量を八、五〇〇立方米/秒と改訂し、このうち二、五〇〇立方米/秒を上流のダム群により調節し、下流の改修計画流量六、〇〇〇立方米/秒とする筑後川治水基本計画が策定されるに至つた(疏甲第六号証の二二頁及び疏乙第二〇号証参照)。

(3) かくして、松原・下筌ダムは、この治水計画に沿つて計画されたものにほかならない。即ちこの両ダムは上記の如き下流地域の洪水被害を防除し産業立地条件を改善し国土の高率的利用を計り、更にこの両ダムによつてできる貯水池を利用し、水資源の効率的活用を計る総合開発の見地から併せて発電を行う多目的ダムである。

しかして、この両ダム建設によつて水没を余儀なくされる水没地の面積(湛水面積)は、三、九平方粁(約三九〇町歩)、水没住家は三二六戸、学校二、発電所三等である(疏乙第二〇号証参照)。そして本工事に要する建設費は、総額約一二〇億円(概算)で、これは公共事業費と発電事業資金で分担されるのであるが、水没による補償については、もつとも適正妥当な補償がなされるよう、新しい村造りの計画と相俟つて、関係者の努力が続けられている。しかも現在右の水没戸数のうち申請人のほか前記室原是賢、穴井武雄等数名を残しては、他の水没関係者の大部分が松原・下筌ダムの建設に協力を表明し、その約三分の一は補償を得て水没地外で新たな生活のスタートを開始しており、その余の者も目下補償交渉中で着々解決に近づきつつあるもののようである。

以上のとおり本件両ダム建設事業が筑後川下流流域住民を洪水の被害から保護するとともに、ダムによつて貯溜された流水を利用して発電を行おうとするものであつて、民生の安定経済の発展に寄与すること著しく大であることは、明らかである。そしてこのためには本件の地点にダムを設置する必要があり、従つて本件土地を収用する公益上の必要があることも明白なところである。

されば、申請人にとつては、前述の如く回復し難い損害を避けるため緊急の必要性が認められないのに比べ、本件裁決の効力の停止により蒙るであろう公共の福祉に対する影響は、きわめて甚大なものといわねばならない。

(別紙裁決書および図面省略)

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